東部公民館

津田沼の北口を降りて、3分ほど歩いて行ったところに東部公民館というかなり年季の入った公民館があります。そこの2階から4階までの廊下に昭和の時代の古い津田沼の駅周辺の写真が展示されています。わたしは、さほど昔から知っていたわけではないのですが、先日津田沼周辺に50年以上お住まいのベテランのお二方とゆっくりその写真を見る時間がありました。

昔の写真を見ると、現在の津田沼パルコはかなり古い時代からあるようで、調べてみると昭和52年にオープンしたと書いてありました。

津田沼パルコ

古い写真を見ると駅から北に延びるパルコの面している道は、今よりかなりガタガタ道だったようです。そして、パルコと駅の間の現在のバス乗り場やタクシー乗り場の場所にはプレハブの一杯飲み屋さんのような建物が所狭しと並んでいて、とても今の津田沼とは想像もつきません。

現在のこのあたりです。↑

また、JR津田沼駅から新京成の新津田沼駅に向かう道も今よりかなり狭く、人通りも多くにぎやかだったようです。

津田沼の歴史

津田沼の名前の由来は、谷村と久々村と鷺村など5つの村が合併して津田沼村ができたそうです。名前の由来は、その3つの村から一文字づつとって津田沼になったということです。(明治22年)

それから6年後の明治28年に総武線の駅として津田沼駅ができています。そのあと新津田沼駅ができたのは、ずっと後の昭和22年の戦後間もないころです。当時の新津田沼駅は、今よりJR津田沼に近い場所(現在のパルコのあたり?)だったようですが、昭和28年に新京成線が京成津田駅に乗り入れる際に現在の位置に移ったそうです。ちなみに、今でも京成津田沼駅と新津田沼駅の間は単線です。

津田沼は、北口にパルコと現在のパルコB館に西友と新津田駅周辺にイトーヨーカ堂とマルイが、南口にはダイエーと高島屋が存在していて、かなりの賑わいだったようです。

JR津田沼駅の乗降者数は平成4年(1日平均13万9千人)をピークに下がり始めていましたが、(おそらく東葉高速線の影響?)平成25年あたりからまた増加しています。これは、南口の再開発も深く影響していると考えられます。現在南口には、タワーマンションの建設も始まっています。

津田沼に出店をお考えの方、ぜひ一声かけてください。